[79] 箱根駅伝ラスト 投稿者:末吉 投稿日:2004/01/27(Tue) 13:50


 なんとか中央に食らいついて、その後亜細亜の逆襲。平地になればこっちのもんだ。亜細亜と競り合いながら、中央をじょじょに引き離す。残り距離は3キロちょっと・・・、心肺的にはきつくない、むしろ余裕がある。脚に余裕があればすぐにでもスパートしたい所だが、「ユギョウジ」でやられた左足がやばい・・・。これ以上ペースを上げると左足がつってしまう感じで、なんとか最後まで脚がもってくれることを祈った。ラスト1.5キロ、最後の登りがきた。後ろから「ラストだ!自分の持ち味を発揮しろ!」との激がとんだ。もはや伊東監督からのものか、はたまた亜細亜の岡田監督からのものか判別不可能。ここは都合よく、自分に持ち味のラストスパートをかませといってるんだと理解して左足がちぎれんばかりの渾身のスパート。坂を登る途中で少しだけ相手が離れた。ラストの下りを目いっぱい飛ばして駆け下る。はっきり言ってあんまりラストは効いてなかったと思うけど、脚がもつかどうかのギリギリまでスピードをあげた。1秒でも前をつめて、1秒でも後ろを離して・・・。中継所に秦さんが見えた時の安心感、達成感・・・、自然と笑みがこぼれた。ラスト、その日の朝に復路メンバーで襷を渡す時に伝言ゲームをするという約束を思い出した。辻はかなりヘロっていたためか完全にそのことを忘れていたので代わりに自分から始める事にした。「鈴婆のアホー!」襷渡しの時にそう叫んでやった。結局、沿道の声に完全にかき消されて秦さんには伝わらなかったみたいだが・・・。

 走り終わって往路メンバーに頑張ったな〜って迎えられた。なんとか走りきれた・・・終わってみればあっというまの21.3キロだった。自分の仕事を果たせた達成感で一杯で全身の力が抜けてどっと疲れがでた。精神的なプレッシャーがきつかったのでそれから解放されたのがうれしかった。タイムははっきり言ってどうでもよかった、満足な体調じゃない中で駅伝の流れを壊さない走りをすることが自分の役割だったし、それを求められての起用だったので。もしかしたら他の補欠メンバーが走ったらもっといいタイムで走ったかもしれないけど、最低限脚を引っ張らない走りはできたかなっと・・・。

 大手町に戻って片岡さんが走ってくるのを待った。4位争いまで順位を上げているというラジオの声。最後の最後までやってくれる。片岡さんはチームの最年長者として陰ながらキャプテンを支えて、チームをまとめてきた。さらに地方国立大学生ならではの悩みもわかってくれて、箱根にきていろいろ精神的にしんどい時も助けてくれた人だ。片岡さんが前のチームに続き6位で還ってきた、最後は誇らしげに襷をかかげてのゴールだった。

 すぐさま胴上げが始まった。その歓喜の輪の中に自分がいることがなんか信じられなかった。学連選抜の当初の目標は10位以内。5000や10000の記録では上位でも、距離への不安、十分な試走もできない、一年間箱根のためだけにやってきた関東との意気込みの差、にわかづくりのチームワーク。いろんな不安があったけど、少なくともチームワークはむっちゃ良かったし、箱根に対する意気込みは負けても打倒・関東の気持ちはみんなすごく持っていた。「このチームをまとめるのは簡単だった。指示しなくてもみんな自然に同じ方向にむいてるから。」飲み会で片岡さんが言っていた言葉が印象的だ。ほんとみんな陸上に対する自分なりの考えをしっかり持っていた。陸上に対する熱意、それからまたその練習量には驚かされた。中川さんには「なんでお前みたいな奴が速くなれるんだ?」とまで言われてしまった。
 
 ・・・とにかく6位にはいった・・・。これからは5年に一度日本学連選抜チームが組まれるということが決まっていたらしいが、もしも今回10位にも入れなかったら白紙に戻す可能性もあったということを終わってからから聞いた。これから地方の大学でも箱根を走る道ができたことがうれしかったし、あとに続く後輩達にそういう道を切り開いてあげることができたことがなんだか誇らしかった。

 今こうやって箱根のことを回想していてもなんかぼんやりとした記憶しかない。それだけあの数日間は一生懸命だったのか、ただ物忘れが激しくなったのか・・・。とにかく自分にとってはまさに夢の舞台でした。また走りたいような、もう二度と走りたくないような・・・。
<完>




[78] 箱根駅伝その5 投稿者:末吉 投稿日:2004/01/26(Mon) 15:42


周りを見渡して見るとあらためて人の多さを実感。国民的行事とは言うけれどあんまりにも箱根は華やか。言ってみればただの地方の駅伝でしょ、中四国駅伝とランクは一緒なはず。中四国の3区なんかエース区間にもかかわらず沿道の応援ないんだぞ!この野郎!なんで全日本より、ニューイヤーより盛り上がるんだ。箱根を走ってみて、高校生が関東の大学に行きたがる理由がよくわかる。あの沿道の声援の中走ったらそりゃ病みつきになる。箱根が選手を潰しているといわれてから久しい。世界に通じる選手が育たないと・・・。そういう評価を受けてもやっぱりほとんど大学に行っちゃう。そのことに疑問を感じていたけど、走ってみてマスコミの注目度なんかも肌で感じてそれだけの魅力が箱根にはあるんだなって思った。でもほんとに将来性があって、強い選手には箱根に甘えずそんなとこでヒーローになろうとせずに実業団にいったほうがいいと思う。

 5キロすぎて周りが見えてきてさあもう一回仕切りなおしと思った後、すぐに東洋大学に並ばれた。後ろから来ていることは全く気づかなかった。あとでわかったことだがこの東洋の選手は区間新のペースだったようだ、でもそれは5キロまでの話で追い抜かれた時にはついていけないペースじゃなかったので、焦らずに後ろについた。後々になって考えてみると、レース展開まで運がよかった。暑さのおかげで全体的にペースが鈍ったことはスピード不足の自分に有利だったし、精神的にきつくなった時に東洋が追いついてきてくれてそれをうまく利用できた。区間新ペースの惰性で走る東洋のおかげですこしずつではあるが前との差が詰まってきた。7キロ付近、東洋と並走している時にザキさんの応援が聞こえた。なんか「ファイトー!」を連発していて、他の声援の中でも一際インパクトがあったのですぐに気がついた。徳光さんの応援は全く聞こえなかったけど、ザキさんの応援は胸に響いた。
 
 ついに前のチームを捉えたのは10キロ過ぎだった。8区の中ではひとつのポイントだったようで、後でビデオを見ていると「8区にもかかわらず5チームが集団になって戦国駅伝の象徴だ!」なんてことを言っていた。実際に走っていても今テレビに映ってるんだろうな〜っていうのはわかった。集団に追いついたときにバイクリポーターがきて前からカメラをまわしていたから・・・。正直ここだけは前にでてカッコええとこみせようかな〜なんて思ったけど、勝負はこれから、アホなことして体力を消耗してしまってはどうしようもないのでじっと我慢した。ダラダラした登りがボディーブローのように効いてくる。並走したのも束の間、ちょっとしたアップダウンで中央が仕掛けた。これであっけなく日体大と、東洋が落ちた。自分の後ろから追ってきた東洋が遅れたことでかなり精神的に余裕ができた。後は残り10キロ粘り抜くのみ、こっからがほんとの勝負だ。
 
 アップダウンを何箇所も越えていく。その度に中央が抜け出そうとした。この中央の山本亮君は長田高出身で村谷の後輩らしいのだが、登りが異様に強い。登りはこっちもかなり気合をいれて頑張っているのに、離されてしまう。後ろから見ていると、いかにもパワーのありそうな走りをしていて、自分にはない脚筋力をもっているのがわかった。アップダウンがある度に亜細亜ともども引き離され、平地になって必死にくらいつくということを何度か繰り返した。途中でしょうじょさんが沿道で応援しているのに気がついた。・・・と、この人はこともあろうに並走してくるではないか・・・、この人なら1キロぐらい並走してきかねないなって一瞬余計な心配をしてしまったが、すぐに離れてくれて安心した(笑)
 
 3人でついに「ユギョウジの坂」に突入した。予想した通りのきつさで案の上、中央に離された。十何キロ走った後のこの坂はほんとにきつかった、ほんと止まりそうになって、半田山のラストの坂を本気で駆け上った後みたいにピヨった・・・。なんとか登りきったあと、乳酸でパンパンな脚をなんとか動かそうとしたした瞬間左足の後側がつりそうになった。最後の段階で走れなかったツケがでてしまった。なんとかこらえたもののこれからのスパートに不安。「ユギョウジの坂」で中央と30mほど離されてさすがにもう無理か・・・と思ったが我ながら驚異の粘り腰で追いついた。<続く>



[77] 箱根駅伝その4 投稿者:末吉 投稿日:2004/01/26(Mon) 14:38


 辻から襷を受け取って前を見据える。前を行く3人はすぐに集団になったようだ。前との差は10秒〜15秒。一気に詰めれる差じゃないしどれだけ走れるか走ってみないとわからないからじっくりいくことに・・・、自分に勝負を決めるだけの力はない、とにかく失敗しないこと、繋ぎに徹することが使命。最初の1キロは3'02。まずまず落ち着いた入りができて一安心した。なんせ1月とは思えない暑さ、しかも給水は15キロ地点の1回のみ。突っ込んで脱水症状になるのが一番怖い。さらにこの区間の勝負所は10キロ過ぎから続くダラダラした登り。特に「ユギョウジの坂」といわれる坂は試走のジョッグでもきつかった難所だ。とにかく最初の10キロは力を温存することが大事だと監督陣に口をすっぱくして言われていた。3キロは9'12、5キロ15'23
のペースで。スピードがなくなった自分の体がもどかしかったけど、最初の5キロは体調をしっかり把握すること、しっかり体からのメッセージに耳を傾けた。

 この間の沿道の声援はほとんど聞こえなかった。それだけ集中し、緊張していたのだろう。結構試合中も応援とか聞いてる(聞こえる)タイプだからこんなことはあまり経験がない。箱根を楽しめといろんな人にアドバイスされ、自分もそう思ってスタートしたけどやっぱ、実際走ってみるとそんな余裕はこれっぽっちもなかった。スタートしてずっと前のチームとの差が縮まらなかったことも焦りを生んでいた。ヨーイドンじゃない駅伝ならではの精神的きつさ。どっちが先に落ちるかの我慢比べ。でも前の集団は3人で交代しながらペースをつくれる。こっちは一人で前を追って行かなきゃいけない、しかも差がつまらない・・・。後ろから見ていても硬くなっているのがわかったのだろう、5キロ地点で監督車から伊東監督からのアドバイスが聞こえた。「リラックスして〜、腕をまわして〜」「もっと楽しまんかい!」焦ってき始めていたまさに絶妙のタイミングだった。「わかった?」の呼びかけに腕を上げて答えてみせた。なんとか周りを見る余裕ができた。


[76] 箱根駅伝その3 投稿者:末吉 投稿日:2004/01/26(Mon) 13:59


ようやく更新・・・、ってもう中国山口のことも更新せな・・・。あわわ・・・。てんやわんやです。では箱根二日目です。

 二日目の朝4時半に目覚め、朝ジョッグ。疲労感は全くない。そりゃ、たいした練習ができてないんだから、疲れてなくて当然なんだけど、筋力が多少落ちてる感じで不安だった。調子がいい時は筋肉を触った時に適度に反発があって、力をぐっと入れた時の返しがきちんとある。好調時に比べるとどうしても状態の悪さを感じてしまう。最大の不安はスピード練習が全くできなかったこと。前日の刺激1000×2は2'55、2'53でタイムもタイムだけど、走った感覚がよくなかった、脚を無理やり動かしてタイム残して後味が凄く悪かった。まっ、前にも書いた通りここまできてウダウダいってもしゃーないわけで開き直ることにした。
 ホテルに帰って朝飯。鈴婆のこれでもかっていうくらいの炭水化物食を全部食べきれるはずもなく・・・。

 8区の戸塚中継所は昨日に引き続き快晴だった。寒いより暑いほうが好きだからこれは有難い、特に寒さが滅茶苦茶苦手って言うほどじゃないけど、寒いと何かとアクシデントも起こりそうなので。中継所に着くともうすでにかなりの人垣ができていた。こんな多くの沿道の応援の中を自分が走ることはもうないかもって思った時に自分にとって今まさに人生の大一番だと実感できた。中継所の大型テレビジョンでは山下りの映像が流れていて、学連選抜が映らないか気になってなかなかアップに集中できない。
 
 その後アップ中に岡大長距離応援団に会った。今回メンバー入りが急だったしまさか来てもらえるとは思わなかった。正直あんまり余裕がなかったから、たいした感謝もできずじまいでゴメンよ。。。
 
 学連選抜最大の鬼門と思われていた山下りも稲井がよく凌いでくれ、中央と辻が競ってきているという情報がはいった。それを聞いて気合を入れなおした。派手な活躍はいらない、自分は安定感を買われてメンバー入りしたんだから、ミスしない走りを期待されている。とにかく繋ぎに徹すること、失敗は絶対できない。岡大で走る時とは違う役目であることをしっかり認識し、流れをきらない走りができれば、後に控える二人がなんとかしてくれると信じた。
 
 駒沢、東海、法政・・・次々と大学が出て行った。中央が行って15秒後、日体、亜細亜がいってから約10秒後、ヘロヘロになった辻から襷を受け取り走り出した。

 そう言えば地方国立大で始めて箱根を走ったのは俺なのか・・・!?




[75] 続き 投稿者:匿名 投稿日:2004/01/26(Mon) 08:03


みたいみたい





[74] 箱根駅伝その2 投稿者:末吉 投稿日:2004/01/15(Thu) 13:56


ゼミ発表が近づいており大ピンチ!なかなか更新できずにすいません。。。

 さて、とてつもなく大きなお年玉をもらった次の日。つまり箱根駅伝初日。朝練終了後、復路みんなでワイワイと朝食で鈴婆こと鈴木トレーナーの高炭水化物食をとり、部屋でダラダラと過ごしているとあっという間に1区のスタートの時間になった。誰からということなくひとつの部屋に集まりテレビ観戦。しかし明日は自分が走るんだよな〜なんて未だに実感がわかない者多数。もちろん自分も。1区の白濱は最悪区間5位以内で来るっていうのがみんなの一致した見解で、2区の加藤は大変だろ〜な〜って話しながらみてると、なんと白濱がズルズル遅れていくではないか・・・まさかの展開に復路メンバーは唖然呆然だった。後で聞けばどうやら体調はかなり悪かったらしく直前の血液検査でも貧血ギリギリの数値だったらしい。ほんとは最後まで見たかったけど、前日の刺激練習のため1区の途中から競技場に移った。

 移動中も練習中も刻々とメールで伝えられてくるレース経過は復路メンバーを凹ますに十分だった。3区の村刺は途中脱水症状でフラフラになった。15キロ地点でもらえるはずの給水を担当の他大学の選手が忘れて渡してもらえなかったらしい、選抜ゆえのハンデが出てしまった、はっきりいって腹がたったがどうしようもない・・・。中川さんも力からすればもっといけるはずという走りに終わった。

 刺激が終わりまた部屋でテレビ観戦。4区終わった時点で16位・・・っておい!「駅伝ってやっぱ流れが大事だよな〜」「まっ、これで明日はいい意味で気楽に走れるじゃん」みんなが今日の駅伝の失敗についての反省会モードにはいりかけていた時、12番手あたりの映像にキラリと光る眼鏡が見えた。・・・あれはもしや・・・鐘ヶ江さんだ!ここからテレビでは怒涛の鐘ヶ江ショーが始まった。始めは「すっげー」程度だったみんなも中井のタイムを上回っていると聞き「ありえん・・・」「変態や・・・」「ロボコップや〜!」と物凄い盛り上がりとなった。まばたきもせずまさに無人の荒野に歩を進めるがごとく次々と前の大学を抜いていく鐘ヶ江さんは完全にみんなのヒーローになった。部屋の盛り上がりも凄まじくアルコールの力を借りずにあんなに馬鹿騒ぎをしたのはいつ以来だろうか・・・。鐘ヶ江さんが区間賞をとって7位でゴールした時の興奮を忘れることはできない。チームのムード、流れを一気に変える無茶苦茶価値ある区間賞だった。そして飛び上がり、大興奮の応援の中でチームがまたひとつになった気がした。

 夜、明日の快走を誓いながら熟睡・・・。ほんと神経が図太くなってきた気がする・・・いい意味で。<続く>




[73] おお・・・ 投稿者:243 投稿日:2004/01/08(Thu) 23:23


早く続きが読みたいです。





[72] 箱根駅伝その1 投稿者:末吉勇 投稿日:2004/01/08(Thu) 12:27


ほんと運がいい・・・。ついに箱根を実際に走ってしまった・・・。

夏合宿あたりは、25人のメンバーに選ばれても実際走れるとは思ってなかったし、強い人と一緒に生活して何か得るものがあれば・・・という程度の気持ちだった。それが16人のメンバーに入った時からもしかしたら走れるかもっていう気になった。

28日のエントリーでは補欠だった。8区にエントリーされてた井川は箱根に入る前に故障していて走れる状況じゃなかったらしい。それでもあえて井川を入れて置いたのは、よほど伊東監督が井川を使いたかったのか、ぎりぎりまで補欠のメンバーの状態を見極めて当日エントリーする予定だったのか・・・。
とにかく自分ははずされていたわけで、モチベーションは一気に下がった。もちろん当日エントリーで走る可能性もあるけど、2週間くらい前から足底筋が痛くてたいした練習ができていなかったし、さらに練習不足がたたったのか30日の調整練習で自分は2000×3の予定だったのに2本までしかこなせなかったから、もうないな・・・と半ばあきらめかけていた。あれだけ箱根箱根言ってたのに諦めが早すぎるかもしれないが、足が痛いのは如何ともしがたかった。こんな大事な時に足が痛くなるとはなんて運が悪いんだ・・・ケアはいつも以上にしてるつもりだったのに・・・。と悔しくて泣きたくもあり、今年一年うまくいき過ぎた、自分でもよくここまで頑張ったと自分を誉めたくもあり・・・。

 チームの雰囲気を壊したくなくて空元気を振りまいていたけど、正直精神的にきつかった。プレッシャーも感じた。箱根で快走できるかどうかは別にして、部のみんなや友達、親族一同、近所のばあさんに至るまでかなりの人に応援してもらっていたのでなんとかメンバー入りの報告がしたかった。

 30日の夜にトレーナーの人に治療をしてもらった。2週間治らなかった怪我がすぐに治るとは期待してなかったけど、なんと、前川トレーナーのゴッドハンドによってかなり痛みがひいた。ありえん!僕の中の金栗賞は間違いなく前川さんだ。完全に痛みがとれたわけじゃないけど走っていて気にならない程度まで治った。

 実際に8区に決まったのは1日の夜のミーティングだった。発表された時は驚きを通り越してボケーとしていたらしい。鳩が豆鉄砲くらったみたいな顔してたとは片岡さん談。3人の候補のうち最終的に自分が選ばれた決め手は抜群の安定感だったそうだ。自分でも安定感には自信があった。けど満足のいく練習ができていない状態でどこまでやれるだろうか、今回は絶対失敗できないと思うと、選ばれた嬉しさと同じくらい不安を感じた。まっ、ここまできたらやるっきゃねぇ!って開き直ることにした。練習不足もプラスに考えりゃ疲労が抜けていいかもしれない。
 1月1日とてつもなく大きなお年玉をもらったのだった。<続く>



[71] 箱根駅伝 投稿者:自衛官 投稿日:2004/01/03(Sat) 22:20


末吉君、応援に行った皆さんお疲れ様でした。
ほんの一瞬目の前を通り過ぎたただけだったけど、足が震えた。恐るべし箱根駅伝。
一生の思い出になりました。末吉君ありがとう!

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