練習日誌
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3月15日
中原橋JOG

10日ぶりの運動
走り方を忘れたようだ。
もともとスピード練習をほとんどやっていないので
たいしてかわらないだろう。

走りの中で思ったことは
どれだけ筋肉が落ちても
接地から脚に伝わる芯の感覚があれば
すぐに走りを取り戻せると思った。

問題はその芯の感覚まで失った時だと思う。
どれくらいでなくなるのかはわからないけれど
才能ではなく、積み上げたものは
いつか崩れるときが来る気がする。

できるだけ固く、しかし柔軟な土台を作りたい。


夜は陸上部全体の追いコンだった。
六年間お世話になった陸上部
中長の卒業生はおれだけだったので
少しさみしかったな。
大坪荘所さえいなかった。

そのかわりたくさんの人と少しずつお酒を飲めた。
はや追い出される立場になった。

追い出される立場、誰も嫌なことを言うはずもない。
今日は結構お酒をつぎに来てくれたので楽しかった。

同期の人とともに六年間、よく頑張ったものだ。
上に五年間、下に五年間の戦友ができた。
上の方は西大寺駅伝前夜祭のおかげか、五年以上の先輩が。



特に感謝したいのはマネージャーで
中長の場合、マネージャーに支えられて走れるものだ。
感謝の気持ちなんて表現しきれないほどだが
少しでも、一言でも伝えられたらと思い
感謝した。
ありがとうございました。




前半三年間はただ上を見つめ
いつも全力でぶつかって頑張れた。
飲みの強さは 競技の強さと比例する。
このことを肌でひしひし感じながらすごした三年間だった。
この三年間でどのように楽しんで飲むかというのが少しわかった。

西田さんの玄関先でゲロまみれで朝を迎えたのは
西田さんの家の中で寝ゲロした佐藤さんによってかき消されたのが救いだった。
寝ゲロ、ゴロゴロ、ファブリーズ

プリーズ ファブリーズ
除菌もできる。




後半三年間はある意味自由奔放にやった。
研究室に所属していたこともあり
自分中心にメニューを立て
スピード練習ぎらいのJOG中心メニュー
わさび抜きではないが、流し抜きのメニューだった。


たよるものが無くなった後半三年間が
強制的に自立する良い時間となった。
OB、同期には支えられっぱなしだったが。





駅伝で はずさなくなった。
前半三年間で身近に感じていた
大砲たちの 駅伝へのピークのもって行き方。

四年の春の絶好調期と、中四インカレの失敗
試合の力が本当の力
大きな大会の力が 本当の力と思った。



駅伝での走りが その人を表現する
たすきに思いを込めて走る
感謝の気持ちで
全員で走っているあの感覚が大好きだ。



前半、後半とまったく違う陸上ができた。
後半は陸上というよりは少しずれた部分があるようだ。
陸上競技というより、走るということを純粋に楽しめた。



社会人おっさんランナーになるための準備期間として




どうしてもまとまらないから このへんで 終了としよう。


いつの日にか 中四駅伝で岡大の平均身長が170の後半になることを願って
ミナト、アマツあたりに期待しようと思う。


3月14-6日
旅行準備、旅行のため休養

旅行中はしっかり歩いた。


3月5日
相生橋JOG
思ったより走れるじゃないか
そう思って走っていたが
ゆるやかな下りで錯覚だとわかった。

下りの衝撃に耐えられないのだ。
階段も下れないのだ。
おなかはくだらないのだ。

おれ日記も最近くだらないのだ。

去年に比べてダメージは小さいようだ。
つるまでスピードを上げず
平衡状態で走りきったことが大きい。

来シーズンがないだけに
これからゆっくりやっていこうと思う。
中学校から12年間だもの。

急がず 焦らず 深呼吸。


3月3日4日
休み


3月2日
篠山ABCマラソン42.195キロ
2時間38分11秒 7位 登録男子

ラップ1835-1801-1759-1831-1908-1944-1820-1856-851
通過3636-5436-11307-13216-15201-21022-22918
ハーフ11722

かなりの人数が参加する篠山マラソンでは
スタート地点を通過するまでに時間がかかる。
そのため出発より早い時間からスタートに並ぶのだ。

去年は一人気合で前のほうに並び早くスタートできたが
今年はそこまでの情熱もなく後ろからスタート

スタート地点まで11秒かかった。

前を抜いていくのも抜き疲れしてしまうのだ。
今年は先頭においつくことはなかった。

5キロ過ぎあたりからようやくまわりとペースが一致し始め
向かい風がきつかったが特に後ろにもつかず
自分のペースを守って走ろうと決めた。

去年は兵庫・篠山の星、小島兄弟がゲストで走っていたので
思い出作りのために先頭に喰らいついて
13キロで撃沈して後半きついレースになった。
今年のゲストは川嶋選手だが特につこうとは思わず
自分のレースをと決めた。

足をあまり使わない置く走りを意識して
のぼりでもあまり頑張らず省エネの走りを心掛けた。
余分な脂肪数キロのことを考えると無理はできないのだ。

途中、末吉岩知道下井渡辺の応援、並び順、表情を確認できるほどの
そんなスピードで走っていた。



20キロ地点、ペースを落としてウィダーインゼリーを飲み干した。
後半のガス欠を考えてじっくり飲み干した。
初マラソンのとき、30キロでの燃料切れを体験して
足の進まなさを体験してからエネルギーの重要性を考えた。
二年目はエネルギー切れ対策のため
体に脂肪を貯えたのだがあえなく失敗。




おれの脂肪は燃焼系ではなかったらしい。




早めのゼリー補給で復活。
腹痛は起こさないのだ。

おれは普段から晩飯のあとなど
気分が悪いほどおなかいっぱいの状態での
走りこみを行っているので
おなかいっぱいでも走れるのだ。

そう

そのために食前、食後など厳しい条件で練習しているのだ。
けして要領が悪いわけではないのだ。
すべてはこの日のために・・・ぐふっ。


エネルギー補給のときにできた差をうめつつ走ったが
おれの霜降りの脂肪ちゃんたちは容赦なくおれの脚を攻撃し
その重力で足の裏は悲鳴をあげていた。


おもい・・・おもいって。。



しもい・・・しもいって。。


るもい・・・るもいって。。





折り返し地点で前、後ろの差、順位を確認した。
先頭はあまりにも強い走りだったので無理だと思った。
そういえば去年も優勝か?
川嶋選手とへいそうしていた。
二番目は播磨の高校の先生で去年も二位の人

三番手は井上選手
やはり上位にいたか。
正確にタイム差を教えた。

4番手は井端・・・
バタクリフだった。

おいおい、岡大で3位4位かよと思った。



折り返しで順位を確認するとおれは13位
川嶋選手はゲストだから順位に入らないので
12位か。

大分前に一人へろへろな選手がいたので
いつか追いつくだろうから
一人抜けば10位か
入賞か。



坪か。



大坪か。





こんだけ長い時間走って11位で入賞を逃すのは寒いよな。
どうせなら15位なら納得できるが。


前を抜くか、手を抜くか。

坪か、ズボリーズか。

迷った末、坪をとった。
前を抜くことにした。


今まで省エネで脚を使わなかった分
思ったより進み、どんどん前が詰まってくるので
気分よく走った。

予想通り大分前にいたへろへろ選手をまず抜いて
11位に上がった。

よしっ

あとはもう一人をゴールまでに抜けば
坪だ。


大坪だ。



なかなか追いつかないのだが
それより前にいる人に追いついて抜かしていけた。

遠くにいる人達がどんどん近づいてきて
気分の良いものだった。



去年のおれは残り数キロで5人ほど抜かれたが
あの距離でヘロっていれば復活することはまずない。
それは去年自分が体験していたので
確信をもっていた。
今年は抜く立場だ。

そうこうしているうちに入賞はできるラインになって
ほっとしたせいか、それとも35キロの壁なのか
体の限界を超え、脚中がつりそうになった。
昨年同様、こうなってしまうと
つらない限界スピードで走るしかないのだ。


そのキロ4分近いペースで悶絶していると
はるか遠くに屈伸している黄色の選手を見つけた。

バ・バタクリフ?

井端だった。

豆粒だったバタクリフにどんどん近づき
追いついた。

勢いを失ったバタクリフにとどめを刺すために
おれは残りのりきをすべて集めて
きんちゃん走りで バタクリフを抜き去った。
キロ4分のスピードで・・・。


ありえない差があったのに追いついた。
びつくりだった。

あとは前が遠すぎたので
抜かれないことだけを祈って
走りきった。

ゴール。

今年は完走した人にフィニッシャーメダルが与えられ
記念になった。

また入賞した人にはあのゴールでかけられるタオルが。
実はタオルが一番うれしかった。
実用的。


あとで話を聞くと
バタクリフは一時期先頭を50メートルほど離して独走していたらしく
変態だと思った。

表彰式のときなどバタクリフは回りの人の噂となっていた。

学生さんはペースを引っ張ってくれたけれど
ペースがバラバラだった・・・と。


バタクリフはペースを作る練習をしなさい。



井上選手は力通り岡大内一位の座を譲らず5井入賞
バタクリフは9井入賞
岡大は今年も坪を3つゲットした。
大坪を3つゲットした。

今年の追いコンではバタクリフの坪を使用して
マラソン打ち上げが行われるようですよ。大坪君。


特筆すべき点として
古川、藤井、山川がサブスリー入り
山本、村谷がズボリーズ入り
大坪、荘所はズボリーズのまま



表彰式で大阪のランニングクラブの
枚方マスターズとナイトランの人と話す機会がもて
少しあいさつすることができた。
四月からの大阪でのジョギング生活のため
実りある大会となった。

学生生活のしめくくりの大会で
坪、豆、ほのぼのレイクの携帯ストラップ、タオルを頂き
悔いなく卒業することができる。


走ることを通してたくさんの人と出会うきっかけを得られ
これからもそうであろうことに
感謝したい。




坪 坪 坪

大坪


3月1日
相生橋JOG

結局減量に失敗
52.8キロ14%の体調でマラソンに挑戦することとなった。
12月の駅伝時より4キロ増、4.5%増

完走が目標だ。