練習日誌
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2月15日
朝OSP×4
旭川堪能JOG

本来ならKBYに行きたかったのだが
朝、起きれなかった。

今日の調子を見ると
もし行っていたら地獄を見ていたな。
二部練の途中でさえ
ガスケツになった。

あ、ガソリンを補給しなければ・・・。


2月14日
地下道JOG
なんかこればっかりだな。


2月13日
休み
明日が修論発表
力をたくわえている。


2月12日
地下道JOG
なんかこの練習
毎回同じポイントで同じタイムで走っている。

正確なペースなのか
ただたんに上がらない調子なのか


2月11日
朝OSP
雨が降ったので
おれが雨男かと思ったが
I端も走っていたので
たぶんI端が雨男だ。

S所は雨女だ。
しょ の うじょだけに。

駅伝の疲れなんてないと思っていたが
二日遅れで筋肉痛が来た。
しかも激痛
どうやら体の限界を超えていたようだ。

もも全体がどこかに旅立っていたようだ。
なんか楽に早く走れる世界の入口に
立ちそうで立てないな。

来期はどういう形で走るのかな。


2月10日
休養


2月9日
西大寺駅伝2区5.2キロ15’29”

昨日の前夜祭のおかげで
朝からどうしようもなかった。

昨日、OBの方々が多く参加されていて
楽しい会だったので
ついつい飲みすぎたのだ。

その会でうれしかったことは
大坪、大石、二宮、村谷が参加してくれたことだ。

こういう上の学年が参加される会で
話しできるチャンスは数少ないので
実りがあった。

この縦のつながりが
より競技の意識の向上につながり
責任のあるパフォーマンスにつながるはずだ。

もう少し早く情報がわかっていれば
参加する人も多かったと思うが
来年以降、どこで働いていても
仕事が無ければ行こうと思うので
ぜひ連絡ください。

あと同じように理大OBの人たちも飲み会があったらしく
理大の歴代の名前しか知らない人と
話ができてうれしかった。

とまあ、ここまではよかったのだが
当日、朝、おさむ号で西大寺に行くのだが
その前に学校での集合で車でいくとき
5分ほどの車で酔った。
シートベルトの圧力でさえ耐えられなかった。

学校に到着と同時にトイレに駆け込み
吐いた。

ふらふらでもうそこらで寝たい気分だった。
学校までの5分ほどでこの調子なら
西大寺に着くまでに何回吐かなければいけないかと思うと
行きたくなかった。

メンバーがギリギリのこの駅伝
半ば強制的に連れられて
丼『区間配置考え直すか?』

おさむ『大丈夫だって、いけるって』

ざき『・・・・・・うっぷ。』

俊『後ろの左側にのれ』

ざき『・・・・うっぷ。』


祈りながら目をつむって西大寺に出発したが
やはり途中で気分が悪くなった。


おさむの運転が 下手なのだ。


急なブレーキに アクセルワーク

これでもかというくらい おれを痛めつけてきた。



ざき『・・・・・・・・吐きそうだ。とめてくれ・・・。』




道端の駐車場にとめてもらい小休憩
近くのガソリンスタンドまで粘って
トイレ休憩



もうどうしようもなかった。

とりあえず会場に向かおうという丼の言葉が
死の宣告のように聞こえた。
おれの頭の上には 20という数字が点滅していた。

20


19


18






おれはそれから 無 になった。
そうすればいけるはずだと信じて

風のように 空気のように

無事西大寺に到着

しばし車で休むと言い残し
車で休んでいた。




しばらくして歩ける気がしてきたので
会場に向かった。


顔色を悟られないように頑張ったが
かもし出す雰囲気ですべてばれてしまったようだ。

こういうとき荘所のように色黒だと
気分が悪いことさえ悟られないのにと思った。


容赦なくゼッケンを渡され
とりあえずたすきを繋ぐことだけ約束した。
正直走り切れるとは思わなかった。

計画では前日の飲み会で
大坪が走れなくなると計算し
二宮はガソリンが補給され走れる予定だった。

しかし、自分がこの状態になるとは
予想もしなかった。

む・・むねん。



む・・・むね・・・・ん?



区間移動のバスで吐かないように
タイヤの上の席をさけて座り
眠りについた。

無事 吐くことなく中継所について
歩くことから始めた。

そうだ。歩きは走りの基本だ。
たゆまない あゆみおそろし かたつむり なのだ。

とりあえず歩いた感じでは
歩いていけそうな気がした。

あと追い風であることを確認して
なんとかなる気がした。

かってにそう思ったのだ。

それから小走りを始めた。
すぐにいやーな汗が出た。
温もってでたのではなく、冷や汗に近かった。

いやーな汗出しJOGと歩きを繰り返し
最後はアミノバイタルにすべての願いを込め
飲み込んだ。


いける


はず。




中継所
予想通り末吉が箱根組に勝って来た。
先頭で走り出す天津に一声

『先頭で渡せよ』



天津は今回の中四駅伝でBチームで頑張った男
やはり中四駅伝を経験し、タイム的にも快走した男であるので
ベストな状態でも今年はなかなか追いつかせてもらえないはずだ。

予想としは一区の負け分、60秒ほどを
二区で30秒ほど返す予定だった。
当初は。

でも今朝からの状態を見ると
完走して襷を渡し、駅伝にすることが
目標となっていた。


天津が走り出してすぐ遠くに黄色が見えた。
まさかの井上だった。
タイムもまだ19分台にして
井上の激走だった。
前評判の二宮、広大の河野などを抑え
福山伊藤のわずか後ろで襷を持ってきた。

びびった。
しかしラストは遅かった。

襷渡しでぽんと背中を押された。
朝の状態を知っているだけに
かける言葉もなかったのだろう。
ただ背中をぽんと。

その勢いが
たすきに乗ってきたその勢いが
おれの眠れる力を呼び起こした

かもしれないが。



良過ぎる位置ですぐに福山につかせてもらった。
とりあえず気合で順位を維持しようと思った。
相手もおそらく力があるだろう選手だったので
現状を考えるとそれしかなかった。

抑えて走るも前に出され少し引っ張る形となったが
坂になると離されだした。
そのひらき方から少しづつ離されれば
そこまで悪い走りではないはずだと信じて
粘った。粘った。

一向に見えなかった先頭も登りのせいか
直線では遠くに見え出した。

頂上に到達して小山さんの応援も受け
下りに入った。
意外と福山が進んでいないので
一気に追いついて仕掛けた。

ここからが本番だ。
ここまで吐かずに走れた自分に自信を持ち
一気にいった。
おれは下りが得意なのだ。
オチ
普段の生活でも意識しているほどだ。
オチていくのがいいのだ。

話にもオチをつけるのだ。


前半の力ない走りのせいか
全然あしが残っていて行けた。
力ないというより力が入らなかったのだ。

そこから前だけ見てガシガシ走ったら
どんどん前がせまってきた。

途中車からの近すぎる応援をもらったが
カーブで車が邪魔でショートカットが出来ず
ストレスがたまった。

応援はありがたいが
コースを占領するのはどうかと・・・。

本当はショートカットしてはいけないんだけどね。

いや、これはれっきとしたコースどりだ。



ラスト、先頭する集団まで肉薄できた。
この状態でここまで走れたことにびっくりしたが
なんとか先頭の見える3位でたすきを渡した。


今日、これでわかったことがひとつあった。



ある有名な選手の言葉

ビールワガソリンネ


本当だった。



二宮は一区で井上に負けていたが
あとで話を聞くと
ガスケツらしかった。
400mでガスケツらしい。
あのビールの量で400mか・・・。
駅伝の距離を走りきるには
たいへんな量のビールが必要という計算になる。
かれはスポーツカー並の燃費である。

しかし スポーツカーはよく走るのだ。


長いな。打ちつかれてきたのでそろそろ終了。


最後の表彰式で岡大関係者で
大部分をしめれたことがうれしかった。

この大会ほど、全員が楽しめる大会はないもんな。
それぞれが必要とされ、頑張ろうって思える大会
大好きだ。

今大会で気付いたこと
I端はさみしがり家だ。たぶん。
誰かに必要とされるため
敢えてどのチームにも属さなかったのだ。
そのために、最後にほろりと寝返ったのだ。
必要とされる立場を堪能して。

学年対抗で正式に組んだら
やはり末吉-井端-岩知道-天津-山本には勝てないな。
やっぱり。

でも学年ごとで勝負するからこそ面白いよな。
平成13年度入学に勝ててこそ価値があると思う。
来年以降、勝負することは無いと思うが
気持ちのどこかに勝ちたいという気持ちを残して
頑張っていきたいな。


六年間、正確には五年間か?
西大寺駅伝ともに戦ってきた
井上博喜、大原制、近藤俊輔、古川公之に感謝したい。

おっと安田鴻池はおまけで。


2月8日
西大寺駅伝平成9年度最終練習
8000PR+1000m

ついに明日本番を迎える
この日のためにおれは六年間走ってきたのだ。
一年に一度思い出す
あの日
チームコンドーの一区近藤に敗北したあの日から。

臥薪嘗胆という言葉ではないが
おれはあの日からアイスを食べつづけた
この悔しさを忘れないために
しかたなくアイスを食べつづけた。
暑い日も寒い日も
寒い日は風呂の中で

この呪縛からそろそろ開放されるときがきたのだ。
西大寺駅伝
おれの大学駅伝の原点


2月7日
地下道JOG
やはり足は筋肉痛

最近の傾向かどうか
フォームを意識したJOGで
筋肉痛になる。

自然と意識できるのだが
ひどく疲れるのだ。

前は油断したら元のフォームに戻っていたが
今は前ほどではなくなった。

筋肉痛のなかで体を動かし
疲労物質を分解していきたいのだ。


2月6日
まさしとJOG

昼、走ろうと思ったが
まさしからのメールで夜走ることにした。
スローなJOG


2月5日
休養
久しぶりだな。
週休二日目
体の回復が遅いので
この休養で超回復
回復を超えて
疲労。


2月4日
80分OSP
ひどい筋肉痛のなかスローJOG
途中、特急井上号に捕獲され
予定より長くJOG

この疲労の残り方では
西大寺は無理のようだ。

俊輔、おさむ、まさし、あとは頼んだぞ!


2月3日
疲労感 筋肉痛 激痛
休止


2月2日
郡市区対抗駅伝
総合2時間20分29秒(三部9位、総合30位、三部残留)
七区6キロ19分10秒(三部区間賞、総合8位)

昨日のミーティングや、晩飯のときに
二部を目指しますと言った手前
下手な走りはできなかった。

朝起きた感覚では普通の体調で
中四駅伝の朝のような沸き立つ調子の良さは無かった。

インフルエンザの一区は予定通りたすきをつないだ。
なかなか上がらない順位
五区で33位まで上昇していける気がした。

あら?そういえば30位以内で3部
ということは今は4部の順位

七区、アンカー、たすきをもらうとき35位
調子があまり良くないだけに
最初逃げられてしまうと後半追い上げる自信がなくて
前半追いついて粘る作戦にした。

折り返しまでに見える範囲の選手は全部抜いたが
その前の選手はいなかった。
見えなかった。

見えない相手との戦い
ずいぶん前の選手と、 向かい風

ゴール間近になってようやく見えた前の選手
あと数キロ走りたくなった。

ゴール、順位は 30位
最低限の仕事を果たした。

来年は一区で1分30秒早くなる予定だし
報徳の選手が成長して帰ってくるはずだ。

たら れば のコーナー
もし今年一区が1分30秒
四区に報徳の選手で1分上がるとしたら
総合22位まで上がるのだ。
ただし それ以上順位を上げるには
それぞれ1位あたり30〜60秒必要となる。

しかし、三部はだんご状態であることは間違いない。
よって、前半から流れに乗れば
二部は20位台前半は狙えない位置ではないのだ。

この意識を持って駅伝に臨むことで
まだまだ上を狙えるチームだと思う。

今年走れなかったメンバーや
中学生の意識の中に
少しでも二部を意識するきっかけを与えられたことが
うれしかった。

小さな意識がのちに 大きな差となって現れるはずだ。


地元兵庫の大会で三部区間賞を頂いた。
故郷に錦を飾るというわけではないが
12年間続けてきたご褒美のように感じた。

ひとつ大きくなれた気がした。


2月1日
後楽園JOG
7時半から西大寺駅伝平成9年度合同練習会最終日だったのだが
参加者はあいにく井上西崎
これでは火曜木曜の朝練と代わりは無い。

まさしは合練にでるということで
結局2人で後楽園JOG

おさむは、別口で吉備津神社へお参りに行ったそうだ。

午後から郡市区対抗駅伝のため兵庫県加西市へ